9月20日はバスの日 乗合バス初運行から100年以上

日本でバスが初めて走ったのは1903年のこの日、営業バスが京都・堀川中立売~七条~祇園の間を走りました。それから100年以上たち、今も生活にかかせない交通手段です。
この「バスの日」は日本バス協会が1987年に制定しました。
目次
バスの車両台数
最初の統計は昭和40年。乗合バスが62,923両で貸切バスが14,587両です。
乗合バスとは路線バスや高速バスの事です。国土交通省の定義ですと、〝他人の需要に応じ、有償で、自動車を使用して旅客を運送する事業のうち、不特定多数の旅客を運送するバスのことで、正式には「一般乗合旅客自動車運送事業」といいます。″
国土交通省HPより引用
https://wwwtb.mlit.go.jp/chubu/gifu/yusou/bus/noriai.htm
貸切バスは、観光バスを表します。
〝他人の需要に応じ、有償で、自動車を使用して旅客を運送する事業のうち、一個の契約により国土交通省令で定める乗車定員以上の自動車を貸し切って旅客を運送するバスのことで、正式には「一般貸切旅客自動車運送事業」といいます。
乗合バスやタクシー以外の旅客自動車運送事業で、一般的には観光や冠婚葬祭などの際に利用されています。″
国土交通省HPより引用
https://wwwtb.mlit.go.jp/chubu/gifu/yusou/bus/kashikiri.htm
平成27年では、乗合バスが60,352両で貸切バスが50,182両です。
路線バスは昭和40年に比べて少ないです。運転手不足や高齢化による原因や、鉄道などの輸送機関が充実し、バスの利用者が減った事が原因です。
観光バスは昭和40年からおよそ3.5倍増加しています。外国人観光客が増えた事やツアーなどが充実している事で需要が高まっています。
2020年に開催される東京オリンピックでは海外からかなりの外国人観光客が訪れます。観光バスはまた一層増えていきそうです。
バスの輸送人員数
年間でどれだけの人を輸送しているのか。毎日利用する人も多いので、かなりの人数を輸送していました。
昭和45年がピークで、約100億人を年間で輸送していました。この当時の人口は約1億人。ですので、100億人を1年間で割ると1日に約2800万人が利用していました。
これが、平成27年になると年間で約42億人。全盛期の半分以下です。
そして42億人を1年間で割った場合の1日の利用者は、1150万人。ピーク時よりもかなり減少している事がわかります。
バスの歴史
黎明期のバス(明治~大正)
明治36年(1903年)9月20日、京都の堀川中立売 – 七条駅、堀川中立売 – 祇園間で、二井商会による乗り合い自動車の運行が始まりました。
現在では「バスの日」として親しまれているこの日が、日本のバス事業の始まりと言われています。明治時代はライバルの乗合馬車屋からの妨害や車両の故障が相次ぎ、本格的な営業の継続が難しかったという話もあります。
興隆期のバス(大正~昭和初期)
事業者どうしが合併や統合を繰り返しながら、地域の主要な交通手段としてさらに発展して行くのです。
昭和初期になると、京都でトロリーバスが四条大宮‐西大路四条間で初めて運行が開始されました。
バス黄金時代へ(戦後の復興期)
戦後の輸送需要拡大を迎えて、バス業界は国産ディーゼルバスの普及とその大型化が進んで行きました。
昭和30年代に入るとますますバス事業は拡大し、地方都市の駅でも、必ずバスがあるという黄金時代を迎えることとなります。
高速・長距離・大型化への展開(昭和30年代)
昭和30年代は、オリンピックの開催、東海道新幹線の開業、名神高速道路の開通など、社会背景もバス事業も大いに盛況を迎えた時代でした。
貸切バスの伸張も著しく、外国人向けの専用貸切バスにも人気が集まり、輸送人員では昭和25年からの10年間で13倍の成長を遂げています。
時代の変化とバス(昭和40年代)
経済成長の著しいこの時代、そんな発展のスピードに合わせるかのように、昭和44年に全線開通した東名高速道路にも長距離高速バスが運行することとなりました。
都市の交通量の増大は、渋滞や大気汚染、ラッシュアワーなど、さまざまな社会問題に人々の関心が集まりました。バス事業においては、電気バスの導入やバス優先レーンの設置、バスの位置情報を把握するバスロケーションの運用など、課題の解決に向けたさまざまな取り組みが始まっています。
基幹交通機関としての展開(昭和50年代)
昭和50年代は、地域社会や利用者ニーズに合わせたサービスの改善が進んだ時代です。
遠方からでも行き先がわかる「大型行き先表示」も昭和50年代から普及を始めました。
サービスの向上を目指して(昭和60年代/平成時代)
昭和62年に国鉄の分割・民営化とともに、国鉄バスも6つの鉄道会社に運行エリアを分割し、さらに1年後にはジェイアールバスとして分離独立し、高速・都市間輸送にシフトしていくこととなりました。
昭和60年代の都市部では、都市圏の人口の校外への広がりとともに、深夜運行サービスも拡大しました。このほか、夜行高速バスも急速に路線数を拡大し、幅広い利用層の支持をえることとなりました。
「バスの歴史」は全て日本バス協会HPより引用
http://www.bus.or.jp/mini/
最後に
バスBUS BASSベースということで、バスとは関係ないですが日本のベーシストを紹介したいと思います。これはただ、やりたいだけです。
KenKen
ロックバンドRIZEのベーシストで2011年からDragon Ashのサポートベースを務めるベーシスト。
兄はRIZEのドラマー兼俳優の金子ノブアキさんです。
ベースを始めたきっかけは、レッチリのミュージックビデオを見た事から。
2007年にはベースマガジンの表紙を過去最年少で飾りました。
そのベース技術はカリスマ的テクニックと圧倒的なパフォーマンスで「ベース・ヒーロー」と呼ばれる天才ベーシストのKenKen。
とにかく弾き方、パフォーマンス、そしてもちろんテクニック。見ていて飽きないです。
9月6日にRIZEの新しいアルバムが発売され、帰ってきました。
約7年ぶり8枚目となるオリジナル・アルバム「THUNDERBOLT~帰ってきたサンダーボルト~」

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https://www.amazon.co.jp/RIZE/e/B001LH6QLS
聞いた瞬間に雷のようにしびれる楽曲ばかりなので、かなりおすすめです。
車で聞いて走っているとテンション上がります。特に眠い時には目覚ましにしびれる刺激を。