眠らない街、レイドバック六本木

- 2017/12/01 FEAUTURE, カンドーミュージック, 地域, 東京都
先日、久しぶりに六本木に行きました。業界用語ではギロッポンです。
1980年から2000年までの20年間、私はほぼ毎晩、この街で飲んでいました。
どれだけのお金をこの街に支払ったか判りません。
東京を離れてからも、あの店はまだあるかな?あの店はどうなったろう?と考えるお店は大抵が六本木でした。
六本木に着くと、私の頭の中には必ず、あるメロディーが流れて来ます。
それは地下鉄日比谷線六本木駅から地上に上がり、六本木交差点に立った時にはマックスの状態で鳴り響いています。
イントロからいきなりサビへと駆け上がるそのメロディーこそ、
KC and the Sunshine Bandの【That’s the Way(I Like It)】です。

1980年からの5年間を私は大学生として過ごしました。学生時代における六本木通いの目的はディスコです。
『ディスコ』。語源はフランス語のディスコティークで、レコード置き場と言う意味があるそうです。
1980年代前半、東京の夜の街はディスコが中心でした。銀座にも新宿にもディスコはありましたが、盛り上がっていたのは六本木と赤坂でした。特に六本木にはスクエアビルと言うディスコの殿堂がありました。10階建ビルのほとんどのフロアがディスコ。
2階には『ファーマーズ・マーケット』と言うトロピカルなイメージのお店。
3階には『Giza』。ここは初めてお立ち台を設置したお店でした。
5階には『Samba Club』、6階には『Studio One』。
7階はどうしても思い出せなくて、8階は私が最も世話になった『NEPENTA』。
9階には『fou-fou』。
連れは 大学時代の仲間でした。
それはクラスの友人であったり、サークルの仲間であったり、地元の友人であったり、バンドのメンバーであったりしましたが、土曜の夜はほとんどディスコで過ごしました。
社会勉強のため、仕方なく、苦手だった未知の異性との交流にも臨みました。
今から35年も前の出来事です。
現在、あの頃を振り返って想うのは、酔って起こした事件の数々。それに伴う謝罪と後悔と反省。若気の至り。
時代は変わっても、今も六本木は今も眠らない街です。
この街に立てば、どこからか聴こえて来るあの曲。そしてあのDJの声。
『ナウでヤングなみんな!土曜の夜だ!フィーバーしようぜ!』